旅とビジネスに酒が有効

 

仕事がら、というか趣味と実益を兼ねて海外を旅することがやたらと多い。指折り数えてみると両手両足を往復してもまだ足りそうになく、国でいうと50カ国ぐらいは行ってるだろうか。

京都大学大学院を卒業し商社を経た私は、その後に服飾の有力企業でライセンス・ブランドの仕事に就いた経験を生かし、独立してライセンス・ビジネスを手がけるギルガメシュ社を設立した。その広告塔として、また新たなる若手デザイナー発掘・育成のため、国内だけでなく世界各地を飛び回ることが日常茶飯事となっているわけである。

ギルガメシュというのは古代メソポタミア神話に登場する不老不死の英雄のこと。大学時代にかじったペルシャ語は実を結ばなかったが、古代オリエントへの憧れと姿を変えて今日に至っているのである。

さて、いざ旅に出て各地に赴いたからといって嬉しそうに記念写真を他人に見せびらかせたところで仕方がない。そんな趣味もない。誰しも類似体験がなければ感動のしようもないだろう。かといって、いちいち紀行文をつらつらと書くのも面倒くさいし、長々と読まされるほうも嫌気がさすに違いない。だから私の場合、みんな詩にまとめてしまう。詩なら短くてすむのでホテルや移動中のバスの中で、その時の印象を簡単に表現できる。書きやすく、読みやすい、我ながらいい考えである。

詩にたいするポイントは一種の「wonder」である。それが詩になるか、ならないかというだけのことで、同じことは歌にもいえる。旅の魅力は、非日常の中で新しい都市や歴史、ロマンといった普段とは違うものに出会う喜ぶだと思う。違う風土、違う風景、違う食べ物・・・・・・

自分では知っていたつもりでも実際に現地を訪ね、たとえば「こんな地名があったのか」というような感動を得ることで、それまで通り一遍だった知識に深みが増すのではなかろうか。何でもそうだが簡単に納得してしまうことはマンネリへと結びつく。ひとつでも多くの確認なり感動があるほど、旅としての意義があったと感じるし、ライセンス・ビジネスを続ける上でも自ら体験し続けることが大切であると信じている。

それにしても、これほどあちこちへ行っているとその場で詩にまとめておかなければ、次から次へと訪れる体験にどんどんと過去の記憶が押し出されてしまいそうである。まるでトコロテンのごとく。とりあえず良し悪しは別として文章にすることでその時の印象が形として残る。もちろん思いつきだけでは書けないし、小説とはまた別の詩情が要求されるわけだが。

行先はイタリアやフランスあるいはアメリカなど、ビジネスではやはり服飾の本場が多い。けれど思い出深い旅はというと、古代オリエントの軌跡を追ってエジプトやシリア、ヨルダンなどを訪れた他ならない。また、世界中のさまざまな飲食文化に触れる旅を重ねてくる中で、酒の肴になるような話題にもこと欠かなくなった。

正直いって私は食べ物の好き嫌いが多い方かもしれない。しかし、旅に出ればなるべく無理してでも食べるし、それしか食べるものがないことだってある。ある時マルセイユで食べたブイヤベースはヤミナベのようで、旨いのか不味いのかわからなかった。タイの奥地、山の民族を訪ねた時はコオロギのから揚げに驚いた。その場で揚げたてを食べさせてもらったのだが、こんな時にはやはりビールしかい・・・・勇気づけのために。

中国は桂林だったろうか、これは旨いなぁと思い尋ねてみると鳥の爪の部分であった。不思議なもので聞くと食欲は一気に減退する。また、広州ではサソリや巨大なミミズだけでなくネコもタヌキも食べると知り、食は広州にあり、ということをまざまざと見せつけられていた。やはりビールか紹興酒なしには考えられそうにない。思いもよらぬ食と酒のマッチングである。 

ゲテモノばかりではない。上品な体験も紹介しよう。今年初めにフランスを訪れた時の体験を『カロリーヌ・シルエットに』と題してまとめた詩の一部である。

二千年の古き都の街を見渡し

夕方 ポール・ボスキューブで

君の姿に見惚れ

恋の美酒に酔い痴れた

酒は不思議なものだ。一度でも一緒に飲みに行った人には親しみを覚える。営業の仕事をやっているとお互いに声を掛け合うことは数知れない。しかし、たとえ何度顔を合わせていても実際に酒の席をともにしたことのない人には親しみを感じない。酒を飲み進む中でビジネスを離れ、個人的な話がそれとなく出るようになり、ジョークが飛び交い始めると、新密度が深まったものだと実感するのである。が、親しくなることがプラスになるとは限らない。最近は、仕事上はあまり親しくならない方が案外いいということがわかってきた。酒席を設けないことも時には大切であるようだ。