正月と餅

 
セレクト2008年 8月号より抜粋
株式会社ギルガメシュ代表取締役 石田 天祐
 

正月迎えの準備には日本人は「餅」を搗くが、十二月二十九日は苦(九)が付くと嫌われ、一般に二十八日以前に行われる。MOTI(餅)の事項を古典事典で引くと、どの事典もモチヒ、モチ・イヒ(餅飯ひ)の略とあるだけで、MOTIそのものの語義が説かれていない。餅(モチ)は「日持ち」のする飯(いひ)であるから、MOTU(持つ、保つ)の名詞形のMOTI(持ち、保ち)が「餅」の原形と考えられる。

さらに、MATU(待つ、祀る)、MITU(満つ)、MUTU(睦)、MOTU(持つ、保つ)は「接着、接待」を共通原義とする母音交替語である。正月に門先に飾られる「門松」の「松の木」は天降りした神霊が依代(ヨリシロ)として接着するヒモロギ(神籬)で、「待つの木」の書き換えにすぎない。英語のWAIT(待つ)に「接待する」の意義もあることを想起してほしい。対象から「離れずに接する」ことが「接待、応対」であり、WAITERとWAIRESSは男女の「接待者」だ。天降りする神を「持ち」続けて、「接待する」のが「祭る(待つる)」行為の原点に他ならない。

日本人が正月に迎える神は年神(トシガミ)とか歳徳神(トシトクジン)と呼ばれる。TOSI(年)の本義は「穀物」、特に「稲」の稔りであったが、のちに「年月」を示す「年」に転義した。「祈念(トシゴヒ)の祭り」は豊作物の豊作を祈る祭りのことだ。記紀神話では、大年神(オオトシシガミ)として登場し、穀物の守護神、稲の稔りの神とされ、スサノヲノミコトの御子神である。奈良県橿原市石川には「大年神」を祭神とする大歳神社が鎮座する。

TOSI(年)の語源はTASU(足す)の名詞形TASI(足し)の母音交替語と考えたい。朝鮮韓国語では「正月」のことを(ソール)「SO:1」というが、これは(サル)「SAL」(年の義)の母音交替である。(SAL)は「生きる」の動詞の語幹と全く同形で、語幹がそのまま名詞として用いられている。また、(サル)には「肉、肌」の意義もある。動詞形の(サル・ダ)を名詞形にしたのが(サラム)で、「生きる者」が原義であるが、日常的に「人」の意味で使用される。「正月は冥途の一里塚」の俗諺があるが日本語の「年」は「年神(穀物神)」に結びつく。朝鮮語の「年」は「生きる」ことから「年、正月」及び「肉」を連想させるところが面白い。

正月に限らず、神前に供える餅の古語をシトギといった。モチ米を蒸して少し搗き、長円形に丸めたものだ。朝鮮語では「餅」を(TOK)(トック)というが、トックとシトギの形は類似している。朝鮮語の古語で「餅」はSTOKであるから、食事文化として、日本に導入されて、シトギとして残ったが、現代朝鮮語では二重子音の語頭のSが脱落して、TOK(トック)に変形したことが納得できる。

正月(一月)は新しい年と古い年の出入口の「月」である。英語ではJANUARYというが、ローマ神話のヤーヌス神に起因する。ヤーヌスは頭の前後に顔を持った神で、戸口・門の守護神。JANUS(ヤーヌス)の女性形の名詞がラテン語のJANUA(ヤーヌア)で、「戸、扉、門(口)」、「入口、通路」を意味する。「一月」のヤーヌアリウス(JANUARIUS)はこれの派生語だ。

実は、日本書記の仁徳天皇紀の六十五年の条に宿儺(スクナ)という怪物が記されている。「飛騨の国に一人有り。宿儺といふ。それ、人となり、体を一つにして、両つの面あり。おのおの相背(そむ)けり。頂(いただき)合いて、頂(うなじ)無し。」ローマのヤーヌス神がシルクロードを通って伝わるうちに、宿儺という怪物に変化したものと考えられる。