青丹よし

 
株式会社ギルガメシュ 代表取締役会長 石田天祐
セレクト2010・09月号より抜粋
 

万葉集には4500首余りの歌が収められてるが、最も好きな歌を一首だけ挙げるならば、私は迷うところなく、小野老の歌を採る。

青丹よし 奈良の都は咲く花の 匂ふがごとく いま盛りなり(三二八)

「青丹」とは、「青黒い土」のこと。奈良で美しい青丹がよくとれたことから、詠嘆詞の「よし」を付加し、「奈良」にかかる枕言葉として用いられた。藤原京から奈良に都が遷されたのは、和銅3年(710)、平成22年はまさに1300年目に当たる。平城遷都1300年の記念行事で、奈良市の周辺は俄かにものさわがしい。「ナラ」は朝鮮語で、「国」、「国土」を意思し、「都市国家」奈良の建設に渡来人の影響が仄見れる。「ナラ」よりも古い地名は「ソフ(添)」であった。奈良県の郡名「添上」、「添下」の「添」にその痕跡を残す。ソフ(添)は古代朝鮮語の「ソフル(京城)、「ソボル(徐伐)」の転訛したもので、「都」を意味した。

平城宮跡に立つと、北側に有名な佐紀盾並(さきたたなみ)古墳群を遠望できる。さらに北方に並ぶ山並みが平城山で、大和の国と山背(京都府)の国を分けている。古代人が大和から山背に行くには、平城山を貫通する歌姫街道を抜けるしかない。この街道の途中にあるのが、添御県坐(ソフミアガタニマス)神社だ。奈良市近辺では最も古い神社の一つで、祭神はスサノヲミコト。記紀神話では天照大神の弟に擬されてる男神だが、一方で、新羅から倭国に渡来した神ともいわれる。神社の所在地名の「添(ソフ)」と重ね併せると、奈良は古代の朝鮮文化と深く掬び付いているのが判る。

奈良市内を流れる「佐保川」の「サホ(佐保)」も「ソフ(添)」の転訛とされる。佐紀盾並古墳群の中には、イワノヒメ、ヒバスヒメ、オキナガタラシヒメなど記紀で活躍する皇后の御陵が目立つ。イワノヒメは仁徳天皇の皇后。いずれも架空の人物で、その広大さにもかかわらず、実際の被葬者が誰か考古学上、確定できない。奈良市内随一の繁華街、三条通りの中ほどに立つフジタホテル脇の小路を北に進むと、奥まった一角にある第九代の開化天皇陵の前に立つことができる。彼もまた、「欠史」の天皇の一人で、虚妄の天皇に違いない。開化天皇の「春日の率川(いさがわ)宮」の跡地に建てられた神社が率川神社だ。6月17日に行われる例祭は「百合祭り」として有名で、三島由紀夫の小説「豊饒の海」にも登場する。祭神の一人、ヒメタタライスズヒメは神武天皇の皇后となる女性で、境内の案内板は「奈良市内、最古の神社」と記されてる。 

 私は結婚直後、藤原宮が築かれた橿原市に新居を求め、以来23年間、大和三山の一つ、耳成山の側に住み続けた。休みのたびに、明日香村や「山之辺の道」をサイクリングし、神社、古墳など歴史的遺跡を隈なく探訪した。初詣は毎日、三輪神社が定番だった。

訪れた神社の数は近畿各県を併わせ、千社を下らない。少女たちが芸能人を追い掛けるがごとく、古社の神々を追い掛けた。奈良県下の名所旧跡をほぼ探訪し尽くすと、京都府最南端の木津川市に遷都した。すでに転居後十数年たつが、「住めば都」で余分に買った宅地を森林果樹園にして、田舎暮らしを楽しんでる。わが家の玄関を出て、南に200メートルも進めば、すでに奈良市の神巧町に入る。「神功(じんぐう)」とは奇妙な地名だが、近くに神功皇后(和名オキナガタラシヒメ)の御陵があり、近年、命名された行政的な地名だ。神功皇后は記紀の物語の中では三韓征伐したスーパーヒロインで、応神天皇の母后。応神天皇の御子が聖天使、仁徳天皇。堺市内にある「伝仁徳天皇陵」は世界一の「土量」を誇る。

記紀を何度も読み返し、古社や古墳を探訪、研究して、はや40年になるが、仁徳天皇が架空の天皇であると論証できる自信を最近やっと得ることができた。その論考は「偽史倭人伝」として近未来に刊行されるだろう。